「犬も歩けば棒にあたる」人が歩けば車にあたりそうなご時世。けんそうと人込みで疲れはてる街、しかし時には生活の振り子を止め、落ち着いた心と澄んだ目で周りを見渡せば、あわただしい人間社会とは別の沢山のモノたちの世界があることに気づく。そのモノたちは人間社会と共存しながら固有の顔をもち、あるものは怒り、あるものは笑い、またあるものは憂いを含んでいる。彼らは一様に世の変化にも泰然とし、沈着冷静で人知れず街のここ、そこにあってクールに我々を見つめている。彼らの表情の宿るところは自然現象によるものだったり、人間社会にとって便利なように作られた諸々の環境や道具だったりする。いつもの通りで、いつもの顔に出会うと「やあ!またお会いしましたね」と声をかけたくなるような馴染みの顔もある。木々が芽をふき、若葉が繁り、街に潤いと活気が蘇ってくる季節。カメラをもって今日も街中をウォッチングして歩く。どんな顔に出会えるのか心はずませて。そして、あるモノに顔らしき部分を発見すると、じっと見つめ、タイミングが合ったところでおもむろにカメラを構え、シャッタ-を切る。ふと、ファインダ-から目を離すと傍らにけげんそうなおまわりさんや、いぶかしそうな人々の顔があり、現実に引き戻される。皆、同様に「何を撮っているのですか?」と聞く。説明に時間がかかる。説明用のテープレコーダーが頭の中でまわる。子供の頃、田舎の旧家の天井のシミや障子の破れ、外壁用の板目に人や動物の顔を見い出し、その奇妙さと偶然な造形物の面白さに驚いたものである。まだ自然が遊び相手であった小学生の頃、いろいろなものに宿る顔発見を友達としたことがあった。そんな過去の懐しい体験がポ-カ-フェイスの土台になっている。ポーカーフェイスを撮って歩く時、心は不思議と素直で無邪気な子供に帰り好奇心の目が輝やく。いつか世界の街角で待っている我が友、ポ-カ-フェイスの仲間達に会いたい。それが新しい彼等の住所録(写真集)になればと思っている。ゆくゆくは地球と月を目玉に太陽を口にした宇宙の大ポ-カ-フェイスを撮ることも、あながち夢でもないかもしれない。我が街、我が地球のベストスマイルの仲間達にカンパイ!。
(1994 . 5 週刊春文グラビア特集より)
写真集:「街で見かけたポーカーフェイス」より
■ポーカーフェイス撮影の原点になった境界杭の樹脂カバー No.17、No.42
街で見かけたポーカーフェイス 1994
バスのつり革が「午前さま」、潰れた空きかんの「ヘルプミー」、「禁煙できない顔」は街頭の吸い殻入れーなどなど、日常ありふれた光景の、ひょんなところから掘り出された思いがけないモノたちの顔と、ひねりを効かしたネーミングとの絶妙の組み合わせ。『顔』とはヒトでも動物でもまさにサインの部分であり、それがさらに名付けられたとうりの顔に見えてくる、という二重の意味でサイン的にも面白い。
阪東氏の本職は、大阪・大丸のパッケージデザイナー。傍ら大阪らしく笑いの感覚豊かなエコ・パッケージなどの作家活動で知られる。人々を楽しませるビジュアルエンターティナーにというのが氏の一貫する志のようだが、その本領いよいよ発揮と見える今回の展覧会である。
この10数年間に撮り溜めた、町々の片隅に潜むモノたちの顔、約4000点から厳選された100点は、題して<ポーカーフェイス100面相展>。6月の心斎橋・大丸本店を皮切りに、長崎・今治・高知、10月の鳥取大丸までの巡回展として開かれた。その行く先々で新聞・テレビなどマスコミにも競って報道されるなど好評。小規模の写真展がこれだけ社会的反響を呼ぶというのもめずらしい。
生まれ立ての赤児が外界をまず認知するのは母親の顔、それに二つの目だという。最小限左右対象に目やしきものがあり、その下に口らしいものがあればなお「顔」に見えるという視覚心理は、ヒトの脳の構造に深く関わっているようで、この現象はすでにバウハウス当時に認識されている。デザイン・ソースとしての利用もこれまで散発的には見られるが、これほど徹底的追及に乗り出しているのは氏が初めて。そこで発掘される新顔の多くが、何かの工業製品の部材、あるいは廃棄物だったりするのも、時代相を反映するようで面白い。人間誰もの源体験を喚起し、他方でユーモラスな文明批評も感知できるところが以上のような反響の因子、社会とデザインの交点を一つ見事に掘り当てたということのようだ。
「SING in japan」74(1994No.4)
長年撮り続けて思うのですが、モノにはすべて何らかの顔があるんです。人間と同じように目、鼻、口と言った記号の明確なものもあれば目や口だったり、時には鼻だけだったりします。たとえば、ノートのような白紙だって、それはそれで彼らの顔なのです。笑ったり、怒ったり、憂いを含んだりとは見る側の勝手な解釈であって、彼らはつねに無表情で目立たない存在なんです。いわば、ヘタなカメラマンに撮られて話のネタにされないように「ポーカーフェイス」を保っているわけです。
今回は100面相と題して100点の作品を発表しましたが、100点満点ではありません。控えの役者の中にもユニークな三枚目がたくさんいます。まだまだニユーフェイスを登場させていきたい。目下、作品の整備中で素材別の顔として鉄面、石面、木面、紙面、プラスチック面や路面などに分類し、本にしたいと思います。
彼らの表情は意識して見ないと見えてこない。昨今流行の3Dの絵と同じようにジーッと凝視してそう思いこまないと見えてこないのです。そうすると除々に彼らの顔が見えてきます。彼らは警戒心が強く臆病なのです。
こんな道端にこんないい顔がころがっていたなんて。見つける方はやっと発見したぞ!と言う感動と充実感がありますが、彼らはシマッタ!と言うような表情をしたりします。私にはそう思えます。時には、これは!、と思うものに出会うと時間帯や光線の具合を変えて何度も撮りに通います。特に多く撮ったものは、車とか、マンホールのフタとか、ゴミ箱とかで誰が見てもおおよそ顔に見えてしまうようなものはたくさん撮りました。
しかし、先ほどの連続性のあるものは興味深いです。しかし、車でも正面やバックから撮って目玉がライトだなんて言っても誰も驚かないでしょう。できるだけ視点を変えて、現実のものとの距離感をもたせると、意外な表情が見えてきます。例えばフォルクスワーゲンを天地逆さまにして見れば奇妙なガマガエルのようにも見えるのです。
「デザイナーは新しい価値を発見し、創造していく人のことである」とはイタリアの工業デザイナーのジウジアローの言葉ですが、私もデザイナー、クリエイターとして同じような考えをもっていました。
富士山やスイスの高原などはそれ自体美しいものです。素材がいい。ところが、私が撮っているモノは街角の何の変哲もないもので、しかも被写体として美しくないんです。そんなもの中にユーモアや新しい価値を発見し続けるのは私にとって楽しい行為なのです。
彼らの顔の中には、目、鼻、口の何にもないものから、いっぱい付いているものまで、それは実ににぎやかです。ある方向から見れば怒ったような顔が反対から見れば笑ってみえるんです。つまり、人間の心の二面性や喜怒哀楽を共有しているようにも思われます。
視点・転換・再発見!視点を変えることで新たなモノが見えてくると言うのが私の持論です。
私はポーカーフェイスの仲間たちをたくさん撮ってきて、人間の持つ表情以外のものの存在と顔に対する概念がいかに狭義であるかを学んだような気がします。
Design News N0.227 Public Design Eyes 2. 1994(財)日本産業デザイン振興会発行(2001年 週刊文春グラビア特集より)
■1996年 主婦と生活社「ね〜ね〜」特集 まちのなかには「かお」がいっぱい
ある日、出版社から電話があり、週刊誌(文春)のグラビア特集で「街のポーカーフェイス」を拝見しました。こちらでも子供向けの月刊誌を出していて、そこで特集を組みたいのでお会いしたいという。
後日、銀座の伊東屋の喫茶店で会った。主婦と生活社で「すてきな母さん」の別冊でキッズとママの絵本雑誌「ね~ね~」の編集担当者のTさんだった。話によると、彼が週刊誌を買って家に持ち帰っていたら、5才になる息子さんが、じっと見入っているページがあった。
見ればポーカーフェイスの特集ページだった。これは自社の特集にも使えるんじゃないかとヒラメイタのだという。
後日「まちのなかにはかおがいっぱい」という特集が組まれ、私の写真をもとに、まちのあちこちで、いろいろな顔が出没する様子がストーリに添って約10ページにわたり、わかりやすく構成されていた。
若いお母さんと共に見たこどもたちの感想はどうだったのだろうか?。聞きそびれてしまったが・・・。
街の中には「顔がいっぱい」
「コアラ?」。道路に、動物の顔のようなものを見つけた。
仕事を終え、うつむき加減で、駅へと歩いていたときのこと。思わず立ち止まった。ちょっとかわいい。
正体は、マンホールのふただった=写真=。ふたの飾りなどが、目や鼻や口のよう。大きめの「鼻」が、「顔」をコアラっぽくさせている。
心理学に「顔の認知」について研究する分野がある。新生児は、顔に似た配置の図形を好んで見るという。
人間は「目、鼻、口」と似た位置関係の視覚パターンを、顔と判断する傾向が強いのだそうだ。心霊写真と呼ばれるものにも、この傾向と関係するものがあるのだろう。
意識し出すと、身の回りには、「顔」があちこちにある。例えば、飲料の自動販売機の空き缶入れ。缶を投入する穴2つが、「目」にしか見えなくなった。電車
のつり革の輪も、角度によっては眼鏡が並んでいるように。最近は、漢字の「品」を、逆さまの顔として見ることができるようになった。
身の回りの「顔」に興味を持つ人は少なくないようだ。「ふしぎなまちのかおさがし」(阪東勲写真・文、岩崎書店)は、ブロックの塀など、街の中の「顔」を探して、写真で紹介している。単に顔に見えるというだけでなく、笑っている、にらんでいる、動物顔、ロボット顔と表情豊かな点が面白い。
インターネットサイトに「顔」の写真を掲載している人も多い。
子どもは、想像や見立てが得意だ。親子で散歩しながら、「顔」を見つけっこするのもいいのでは。(伊藤剛寛)
2014.6/8 読売新聞東京版コラム「日曜の朝」より
ふしぎなまちのかおさがし
写真絵本(岩崎書店)
少年サム君と犬のダックが街を歩いて顔さがしをする。
たくさんの顔に出会い、それが何の顔かのクイズもある。